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聖歌は生歌

聖歌は生歌

ミサ曲1

 ここでは、ミサの式次第と同じ作曲者による203~206を取り上げ、式次第との関連、統一性についても考察しま
す。

 《あわれみの賛歌》
【解説】
 203のあわれみの賛歌は、合本の場合、5♭と(2♯)の二つがありますが、これは、栄光の賛歌を歌うか歌わ
ないかで使い分けます。栄光の賛歌が歌われる場合は、(2♯)ですが、栄光の賛歌の最初を見ると、曲が長調か
短調かを決める、第三音がありません。しかし、あわれみの賛歌の最後は、旋律(ソプラノ)とバスがFis(F♯)です
から、栄光の賛歌がD-Dur(ニ長調)で歌われることが潜在的に示されています。
 5♭で歌う場合は、集会祈願へと続きますが、最後の音がF(,へ)ですから、司祭はそのまま祈りへの招きへと
進めます。また最後の和音は、「アーメン」の最初の和音と同じですから、会衆の耳には、この響き(雅楽的な響き)
が残っているので、違和感なく唱和できます。
 このあわれみの賛歌は、グレゴリオ聖歌の、諸聖人の連願(Litaniae Sanctorum)をモチーフにしています。
旋律では、三つの音しか用いられず、同じ音形が繰り返され、覚えやすくなっています。一方、伴奏は、一回毎に
異なる和音が用いられ、とりわけ、最後の「あわれみたまえ」では、バスがF(,ファ)まで下降し、祈りを深めています。
 5♭と(2♯)いずれの場合も最後は、《雅楽的な響き》となっており、グレゴリオ聖歌の伝統と日本の伝統音楽の
要素が、見事に調和されていると言えるでしょう。
  なお、このあわれみの賛歌は、全員で通して歌うこともできますが、それぞれ二回繰り替えされる前半を先唱者
または聖歌隊、後半を会衆一同で繰り返すと、より祈りが深まります。
【祈りの注意】
 この、あわれみの賛歌で良く聴く、よくない祈り方は、最初の「主よ」を延ばしすぎ、次の「あわれみたまえ」機銃掃
射のように歌うものです。楽譜なしではうまく表現できませんが、「主よーー、あわれみたまえーー」で、赤字のところ
の八文音符が、十六文音符のようになるものです。これは、まったく祈りになりません。
 歌い始めは、最初の「主」をアウフタクトを生かし、続く「よ」のテージスが重くならないようにするとともに、四分音符
の音価をきちんと守り、必要以上に延ばしてはなりません。「あわれみたまえ」は、いづれも、少しづつ rit. しますが、
その割合を、だんだんと大きくします。そして、次の、祈りのことばに入る前の八分音符、(「主よ」と「キリスト」の前)
で、テンポを戻します。加えて、最初の「主よ」より次の「キリスト」を、「キリスト」より次の「主よ」が、わからないように
ゆっくりし、音の量も少しづつ弱めて(ただし精神と祈りは深めて)ゆければ、祈りはさらに深まるでしょう。
 先唱者(ソリ)と会衆が交互に歌う場合も、お互いの受け渡しが、スムーズになるように気をつけたいものです。

《栄光の賛歌》
【解説】
 204の栄光の賛歌は、最初に調性を決める第三音がありませんが、あわれみの賛歌で指摘したとおり、D-Dur
(ニ長調)で歌われます。冒頭は、司祭が歌う場合は、司祭の先唱に合わせて伴奏をつけるとよいでしょう。旋律は
「神に」だけがA(イ)で強調されますが、簡単な音なので、無理なく歌えます。ここでも、グレゴリオ聖歌の、自由
リズムが生かされています。
 「地には」からは会衆が続けます。冒頭から、グレゴリオ聖歌の自由リズムが用いられたり、拍子も頻繁に変わる
ので、一見複雑そうですが、歌ってみると無理なく歌えることがわかります。
 「感謝し奉る」のテノールで唯一、臨時記号(gis ソ♯)が用いられ、和音も五度の五が(ドッペル・ドミナント)用いられて
います。これは、第二バチカン公会議までは、ここが前半のピリオドと考えられていましたが、イエズス会の司祭・
典礼学者J.A.ユングマンの研究により、次の「全能の父なる神よ」までが父である神に対する祈りであることが
わかったので、「感謝し奉る」で祈りも音楽も途切れないように、という、神学的配慮です。「神なる主」ではバスが
一拍早く「か」を歌い、しかも、gis( ソ♯)がG(ソ)に戻されて歌われます。
 続く、「主なる御ひとり子」からは、子であるイエス・キリストへの祈りです。後半の最初と最後に出てくる、「イエス・
キリストよ」では、ミサの式次第で見てきた、《信仰告白の和音進行が》開離位置で歌われます。しかも、この二箇所
では、もっとも高いD(レ)が、用いられています。ちなみに、この音が他に使われるのは、子である神に対する呼びか
けの「かみなる主」「かみの小羊」のところだけで、キリストに対する信仰告白のことばが、ミサの式次第と統一されて
いることがわかります。「世の罪を除きたもう主よ」「われらをあわれみたまえ(願いを聞き入れたえ)」、では、同じこと
ばで同じ旋律が使われていますが、伴奏は異なっていて、祈りを深めています。
 最後の「アーメン」は、全体の締めくくりとしての「アーメン」で、経過的に多くの音が用いられていますが、根幹と
なる和音は、教会音楽の伝統的な「アーメン終止」の和音です。
 この栄光の賛歌は、D-Dur(ニ長調)ですから、ミサの式次第の前後のF-Dur(へ長調)とはかけ離れているように
思われますが、F-Dur(へ長調)と同じ1♭の短調がd-moll(ニ短調)、d-moll(ニ短調)と音階の主音が同じ長調が
D-Dur(ニ長調)というように、実は非常に近い関係にあり、続けてもさほど違和感がないのです。
 最後に、このあわれみの賛歌と栄光の賛歌が作曲された時期は、数年の隔たりがありますが、それを感じさせな
い程、有機的なつながりが考慮されています。
【祈りの注意】
 この、栄光の賛歌で一番気をつけなければならないことは、テンポが遅くならないように、ということです。遅めと言
うと語弊があるかも入れませんが、要は、だらだらと歌わない、ということです。最初の2小節、自由リズムの部分と、
「われら主をほめ」からの、拍子の書いてある部分で、テンポが変わってしまうことが多いようです。この部分で、きち
んとテンポをあわせることがまず肝要です。
 上記にも書きましたが、「感謝し奉る」で rit. するのは、曲想ばかりではなく、神学的にも問題があります。次の「全
能の父なる神よ」まで、に入るまで rit. しないようにしましょう、この部分の rit. の後は、すぐに、テンポを戻します。
続く「イエ(ズ)ス・キリストよ」では、再び、いくぶんですが rit. しますが、「神なる主」に入ったらすぐにテンポを戻しま
す。「世の罪を除きたもう主よ」からは、いくぶん音の量を弱めに(ただし精神は強めに)します。
 「主のみ聖なり」からは、徐々に旋律も上昇しますから、「イエ(ズ)ス・キリストよ」に向かって cresc. してゆきます。
ここでも、いくぶん rit. すると祈りも深まり、賛美の声も高まります。
 「聖霊とともに」からは、締めくくりの部分です。「栄光のうちに」であまり rit. を大きくしないこと。「アーメン」は、この
賛歌全体の締めくくりですから、ふさわしく、祈りを結ぶ必要があります。
 賛歌全体が、ひとつの大きな賛美と感謝の祈りですから、全体を一息で祈り続けるような気持ちを持って、この、栄
光の賛歌をささげてほしいと思います。

《感謝の賛歌》
【解説】
 ミサの式次第の〔音による奉献文の構成〕でも見たように、現在、歌唱ミサで、奉献文全体で、バランスの取れた
感謝の賛歌はこの205となります。旋律の最初と最後の音はG(ソ)ですから、g-moll(ト短調)と思われますが、調号
は1♭なので、教会旋法の第2旋法(CD 『ミサ-愛の秘跡・感謝の祭儀』の解説などでは、第1旋法と書きました
が訂正します)に近いのですが、旋律で使われている音は、下から、D(レ)-F(ファ)-G(ソ)-A(ラ)-c(ド) の五つで
(これは、ミサの式次第で主の祈りの例外を除き、会衆の部分で用いられている音と同じく、G(ソ) を中心にして上
下ともに日本の伝統音楽で用いられるテトラコルデ)、日本の伝統音楽の五音音階に近いものです。
 最初の音は、司祭が叙唱を歌い終えた音と同じG(ソ)で、単声になっているのは、先唱者が歌いだすためです。
 二回目の「聖なるかな」から「神なる主」までは、三回目の「聖なるかな」の「’」後、その前の四分音符の中で息を
する以外、一気に歌わないと、何が「聖なるかな」かわからなくなります。
 二回出てくる、「天のいと高きところにホザンナ」は、最高音c(ド)とシンプルな協和音で歓呼の叫びにふさわしくして
いますが、二回目の「天のいと高きと」はバスが1オクターヴ低くされ、祈りを深めて、最後は、《雅楽的な響き》で
終止しています。
【祈りの注意】
 この感謝の賛歌は、主司式者が単独で唱える「叙唱」を受けて、先唱者(ソロでもソリでも)が歌いだすようになって
います。三回目の「聖なるかな」の後に「’」がありますが、これは、主の祈りの中でも出てくるのですが、その前(ここ
では「聖なるかな」の四分音符から少し音価をもらって、する息継ぎのしるしです。この三回の「聖なるかな」ごとに、
一回づつ、それも、祈りが途絶えるような息継ぎをするようなことはしないでください。文章は、最初の「聖なるかな」
から「神なる主」まで続いていますから、ここまで、祈りとして一息で歌ってください。
 「天のいと高きところにはホザンナ」は、力強く歌いますが、決して乱暴にならないように。二回目は特に、しっかり
と、歓呼の歌声としましょう。「ほむべきかな~」は、バスが歌いませんから、厚みが少なくなり、その分ていねいにな
るのではないでしょか。
 叙唱の最後でも司式者が唱えますが、「すべての天使と聖人とともに」、この賛歌を歌うことだけは忘れないで歌い
たいものです。
 
《平和の賛歌》
【解説】 
 この平和の賛歌は、1♯のG-Dur(ト長調)です。式次第の前の部分はg-moll(ト短調)ですから、同じ主音で短調
と長調という関係になっています。主音より一つ高いA(ラ)から始まった旋律は、ほぼ音階進行で下降して行き、歌
い易なっています。「われらをあわれみたまえ」と「われらに平安を与えたまえ」は低音で歌われ、これからいただく
聖体に対する謙遜を表しています。
 伴奏は、あわれみの賛歌と同様に一回毎に異なっていますが、それを感じさせません。
 なお、パンを割る式がなった場合、平和の賛歌は何度でも繰り返すことになっていますが、この曲は、繰り返して
歌うことができるのも特徴です。
【祈りの注意】
 この平和の賛歌も、グレゴリオ聖歌のそれらと同じように、先唱者(ソロでもソリでも)が三回とも歌い始めるようにで
きています。各ごとに、「神の小ひつじ」、「世の罪を」、「除きたもう主よ」、の四分音符が必要以上に延ばされて歌わ
れるのを聞くことがありますが、これは、絶対にしてはならないことです。なんとなれば、そのようにすると、祈りどこ
ろか歌にもならず、品位も深みもなくなるからです。『典礼聖歌』に必要なことは、グレゴリオ聖歌と同様、『典礼聖
歌』が本来備えている、祈りの深さと品位を、いかにわたしたちが表現するか、ということです。そのための努力を行
わす、また、そのような祈りにしないで、『典礼聖歌』を悪く言うのは、本末転倒です。
 さて、この、三箇所の四分音符を必要以上に延ばして歌うと、品位が失われ、祈りにもなりません。まず、テンポど
おりに歌うことを心がけてください。
 他の賛歌でも言いましたが、先唱者と会衆の祈りの受け渡しをスムーズにすることも、祈りの重要なポイントです。
「世の罪を除きたもう主よ」で、少し rit. します。「われらを」で、いったん小戻しで、テンポを戻し、「あわれみたまえ」
で十分 rit. します。平和の賛歌は、全部で、都合、三回以上繰り返しますから、一回ごとに、 rit. を大きくし、dim. も
豊かにすると、祈りが深まります。
 なお、先唱者の方は、一回ごとに、祭壇の上におられる「神の小羊」=キリストに祈りを深めてゆくようにすると、そ
れが、必ず会衆に伝わり、共同体全体の祈りが深まるはずです。

《信仰宣言》
【解説】
 ミサの式次第に対応した信仰宣言は、現在のところ251の洗礼式の信仰宣言だけです。
 この信仰宣言も、栄光の賛歌と同様に、司祭が歌い始めることも、全員あるいは聖歌隊が歌い始めることもできる
ようになっています。司祭が歌い始める場合は、「全能の」の後にある「’」は入れないで続けます。
 旋律は高いc(ド)を除いた、式次第の音だけで歌われ、キリスト教信仰の中心である「復活(して)」のところで、
最高音A(ラ)が使われています。また、三回出てくる「信じます」は、《信仰告白の和音進行》で統一されています。
 「おとめマリアから生まれ」と「聖霊を信じ」は、旋律、伴奏ともに同一ですが、前者だけ、バスにC(ド)が用いられて
いることに注目してください。これは、前者は、次の「苦しみを受けて」へと文章が続くので、文章の継続をバスの音
でも表しています。それに対し後者は、日本語訳で補われた動詞なので、六の和音のままでおさめています。
 信仰宣言のうち、使徒信条とニケア・コンスタンチノープル信条の口語にはまだミサの式次第に対応したものが、
作曲されていません。ちなみに、文語になりますが、ニケア・コンスタンチノープル信条は453の「やまとのささげう
た」を用いることもできますが、できるだけ早いうちに、どちらもミサの式次第に対応したものが作曲されることを願う
ものです。
【祈りの注意】
 「天地の創造主」を司式者が最初に歌い始める場合、「全能の」を会衆が続けますが、このバトンタッチが、スムー
ズに行くように、この間で、休符が入る事がないように気をつけましょう。
 三回出てくる「信じます」は、今まで書いたように、《信仰告白の和音進行》ですから、それにふさわしい、荘重さを
もってこの信仰告白としてください。
 「’」の部分は、何度も書いたように、その前のことば「父の右におられる’主」と、「ゆるし’からだの復活」の四分音
符から少し音価をもらって息継ぎをするしるしです。この部分で必要以上に、間をあけることのないようにしましょう。
なお、「全能の」の後の「’」は、最初から全員で歌う場合に息継ぎをするしるしで、司式者が歌い始める場合には、こ
の息継ぎは用いません。
 全体に、力強い信仰告白ですが、決して乱暴に、また、無神経にならないよう、こころ配りを忘れないようにしてくだ
さい。
【付論】
 日本の司教団は、2004年に新しい口語文にした、ニケア・コンスタンチノープル信条、または、使徒信条を、ミサ
の通常の信仰宣言として用いることを決定しました。現在のところ、公式に、この二つの信条が歌えるようにはなって
いませんが、アトリエおおましこ主催者の筆者は、所属小教区の主任司祭の依頼で、使徒信条の信仰宣言を、251
に基づいて補作したものを作りました。この使徒信条の信仰宣言は、横浜教区司教の認可によって、現、主任司祭
の任期中に限り用いることが出来、主日のミサで用いられています。
 なお、この使徒信条による信仰宣言の冒頭は、『ミサ典礼書の総則(暫定版)』(Missale Romanum edtio typica
tertia による)に従い、司祭が先唱するものとされています。


《本稿は、上智大学大学院神学研究科神学専攻前期博士課程学位論文
『感謝の祭儀への行動参加-ともに歌う信仰の共体験-』
第四章「ミサ賛歌と信仰宣言」より抜粋したものです。》



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